大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和43年(オ)410号 判決 1968年11月07日

当事者 上告人 小西れゐ<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 堤幸一

大池龍夫

増田庄一郎

被上告人 近藤武雄

右訴訟代理人弁護士 中条忠直

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人堤幸一、同大池龍夫の各上告理由について。

原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の確定したところによれば、本件家屋の賃貸人である被上告人から賃借人である上告人小西れゐおよび同水野明恵に対し、昭和四〇年六月二四日頃到達した書面をもって、借家法七条(昭和四一年法律九三号による改正前のもの。以下同じ。)により、本件家屋の賃料を同年七月分から一ヶ月金二六、二五〇円に増額する旨の意思表示がなされ、その当時における本件家屋の適正賃料たる一ヶ月金二二、四九六円の限度で右意思表示による増額の効果を生じたところ、右上告人らは、同月分については従前の賃料金七、七五〇円を、また翌八月分以降については一ヶ月金一〇、〇七五円宛を提供ないし供託するにとどまったので、被上告人は、昭和四一年三月二八日に、昭和四〇年七月一日以降同四一年三月末日までの一ヶ月金二六、二五〇円の割合による賃料を一週間以内に支払うよう右上告人らに催告したが、右上告人らは、当時すでに本訴が提起されて調停に付され、その手続上三名の鑑定人の各鑑定書が提出されていて、それらにより昭和四〇年七月一日現在における本件家屋の適正賃料が少なくとも一ヶ月金二〇、〇〇〇円以上であることを知り得たにかかわらず、その態度を翻さず催告に応じなかったというのである。

右に牴触する上告人ら主張のような賃料に関する特約の存在は認められないとした点を含め、原審の右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができ、右認定の違法を主張する論旨は理由がなく、採用し得ない。

ところで、借家法七条による賃料増額請求権はいわゆる形成権に属し、右権利行使の意思表示が相手方に到達すれば、これによってその時から賃料は適正額に増額されるのであって、その具体的金額について当事者間に意見が合致せず、裁判によってそれが確認される場合でも、右裁判によってはじめて増額の効果が発生するものではないことは、当裁判所の判例(昭和三八年(オ)第一三六五号同四〇年一二月一〇日第二小法廷判決民集一九巻九号二一一七頁参照)とするところであり、前記改正法施行後においても、本件のように同法施行前になされた増額請求にかかる事案につき、右判例を変更すべき必要は認められない。それゆえ、論旨のうち、右判例と異なり、当裁判所の採らない独自の見解を主張する部分は、採用することができない。

そして、前記事実関係によるときは、適正賃料の半額にも達しない金額をもってした上告人小西れゐ、同水野明恵の賃料の提供ないし供託をもって債務の本旨に従った履行の提供と同視しうべくもないことは明らかであるから、右上告人らは履行遅滞の責を免れないところ、同上告人らは、増額の意思表示を受けた当時だけでなく、前記のように、各鑑定書により客観的に相当とされるべき賃料の額が少なくとも一ヶ月金二〇、〇〇〇円を下らないことを知りえたのちにも、なお従前の態度を固執して被上告人の催告を無視し、履行遅滞を継続したのであるから、賃借人として通常つくすべき義務に著しく違反したものというべく、上告人らの右不履行をもって賃貸借の基礎たる当事者相互間の信頼関係を破壊するものとして、催告期限の経過後に被上告人のした契約解除の効力を認め、これをもって権利の濫用にあたるものとすることもできないとした原審の判断は正当であり、この点においても、原判決に何ら所論の違法は認められない。したがって、右判断の違法をいう論旨も理由がなく、採用するを得ない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 松田二郎 岩田誠 大隅健一郎)

上告代理人堤幸一の上告理由

第一、原判決は法の解釈適用を誤りたる違法あり。

原判決は、上告人が原審に於て控訴の理由冒頭に主張したる民法第五百四十一条に所謂債務の性質に関する抗弁に対して何等独自の判断をなすことなく、原判決理由に説示の通りとあれども、第一審に於ける判決は民法第五百四十一条に所謂債務の意味、性質を誤って解釈適用したる違法あり。

第一審の判決理由第三の四〇行以下には云々「そして控訴人が弁済のため供託した金員が、弁済すべき金額より極めて僅かに不足するに過ぎない場合は、信義則から見て、右供託の効力を否定し得ないが、被告小西同明憲が本件の賃料として供託した金額は適正賃料の半額にも充たぬから、右供託は債務の本旨に従った弁済の提供とはいえないので、弁済供託としては無効のものと謂わざるを得ぬ云々」とあれども、右は賃貸人の一方的な暴大な家賃の増額請求に対して、賃借人は易々として応ずべきことを前提としたる理由に過ぎず未だ適正価格なるものなく、上告人は争いあるものにて、本件家屋の家賃は一ヶ月金七千七百五十円なることは当事者間争いなきところなるを以て、上告人等が供託した金額は一ヶ月金壱万七十五円にて、被上告人の請求額よりも遥かに少額なりと雖も、右は成立に争いなき乙第一号証に記載の如き特別の事情の下に成立した賃貸借契約なるを以て、その賃料が比較的安価なることは当然である。

上告人等は従来五回に亘る家賃値上の場合の慣例に従い、従来の家賃金七千七百五十円に三割増して金壱万七十五円也を供託しある次第なるを以て、仮りに任意増額の部分は無効とするも、従来の家賃金七千七百五十円は弁済供託として無効なるものと見ることは常識上又は法律上失当なるものと謂わざるを得ぬ。

凡そ、家屋の賃貸人が家賃の増額の請求をした場合に於て、賃借人が承諾しない場合は、賃貸人は裁判又は調停にて家賃の額を決定して貰う外はないし、仮りに裁判に於て一応適正の家賃を認められた場合と雖も、相手方は総て上訴して争う権利を有するので、其判決確定する迄は右適正家賃を相手方が履行せざる故を以て賃貸契約を解除することは許されざるものと信ず。

結局、問題は民法第五百四十一条に所謂債務の意味性質如何によるものなることは明らかにして、上告人等は本件につき第一審以来屡々準備書面により、茲に所謂債務とは当事者間当然争いのない従来の債務の意味にて、当事者が一方的に増額又は減額を請求した金額を包含せざるものなることは屡々強調したるところなるに拘らず、第一審判決及び原判決は法の解釈と適用を誤りたる違法あり、到底破棄を免れざるものと信ず。

第二<省略>

第三、原判決は上告人の権利乱用の抗弁については其理由極めて簡単粗末にして審理を尽くさざる理由不備の違法あり。

原判決は、其理由として云々被控訴人側の事情を証する証拠は何もなき旨説示すれども、被控訴人が本件の訴を提起するに至りたる動機、経過及び弁論の趣旨より見て明らかなるところにて、上告人はこれ迄過去二十数年間に亘り家賃の延滞や不払をなしたることもなく、又当事者間何等の争いもしたることなく、平穏円満に暮し来たるに拘らず、昭和四〇年四月頃となり、被上告人は突如として何等理由をも告げずして、唯家屋の明渡を申入れ来りて示談交渉前後十回に及びたるも其移転先又は移転料の問題につき交渉妥結に至らず(最後の案については上告人は承諾して明渡の準備中のところ、被上告人は一方的に破棄した)逆に被上告人は俄に豹変して家賃の尨大なる値上げにより上告人等を苦しめて之が不履行を条件として賃貸契約を解除して明渡の目的を達すべく画策し即ち上告人等の犠牲に於て其目的を達すべく計画に出でたるものなることは本件記録の全般を通じて誠に明らかなるところである。

勿論、被上告人に於て本件の家屋を自ら使用する必要は勿論、使用する相当の理由毛頭なきものなるを以て原審判決の如く上告人に於て証明する迄もなく裁判所に於て必要と認めたる場合は、職権を以て証拠調をなすことにより、真に公明正大なる信頼するに足る判決を期待し得るものにて、斯くの如き挙に出でざる原判決は審理を尽くさざる理由不備の違法あり。

上告代理人大池龍夫の上告理由

原判決には明らかに判決に影響を及ぼすべき法令の解釈適用を誤った違法があるものと信ずる。

原判決が引用した第一審判決の理由説示によれば上告人小西及び同明恵が本件家屋の賃料として供託した金額は適正賃料の半額にも充たないから右供託は債務の本旨に従った弁済の提供とはいえないので弁済供託としては無効なものと云わなければならないと判示し本件家屋に関する賃貸借契約は賃料の不払いに因り解除された旨認定しているけれども凡そ継続的契約関係たる賃貸借契約に於て賃借人の賃料不払いが契約解除の原因となるのは右の事実によって賃貸借当事者間の信頼関係を破壊するに因るものであり従て賃借人の債務不履行に相当な事由があって賃料の不払いが背信行為と認められない特別の事情がある時は賃貸人の契約解除は権利の濫用であって契約解除の効力は発生しないと云うべきである。

通常家賃の増額に関しては賃料増額請求後の相当賃料に付き賃貸人及び賃借人の立場或いは事情の相異により意見を異にする場合の多いことは経験法則上争いのない所であり双方の意見が一致しない限りは結局判決によって確定する外はないのであるから賃貸人が自己の相当とする増額請求後の賃料額に基き延滞賃料の催告をした場合に、その額を不相当とする賃借人が判決により確定されるまで自己が相当と信ずる賃料を供託した場合には特に著しく信義に反し賃貸借の存続を困難ならしめる特別の事情がない限り賃貸借解除の事由とはならないと解すべきである。

第一審判決はその理由中に於て「特に被告小西及び同明恵は調停係属中裁判所の鑑定命令に基き提出された前掲各鑑定書により本件家屋の昭和四〇年七月一日現在の適正賃料が少なくとも二〇、〇〇〇円以上であることを予知し得たにも拘らず依然として賃料の弁済としてその約半額である一〇、〇七五円を供託し原告の催告にもかかわらず右供託金額と適正賃料の差額を支払わなかったこと等の事情を勘案すると本件賃貸人間の信頼関係は破壊されたものと認めるが相当である」と判示し賃貸借契約に関する特別事情の存在を認めるのであるが上告人に対する本人尋問の結果によっても明らかな如く上告人等は賃料の適正額に付ては種々調査の上一〇、〇七五円が相当額であると確信して供託するに至ったものであって第一審判決の理由説示の如く昭和四〇年七月一日現在の適正賃料が少なくとも二〇、〇〇〇円以上であることを予知していたものではなく亦少なくとも二〇、〇〇〇円以上であることを予知し得たとの認定は何等証拠に基くものでもないのである。

上告人等は本件賃借家屋に関する賃料に付ては従来賃貸人の要求の都度増額に応じたものであって過去に於ては家賃滞納等の事実は無かったものであり賃貸人に対する背信行為は毫も存在しなかったものである。

第一審判決は前記の事情を顧みることなくして認定を誤った違法があると云うべきであり第一審判決の理由を引用した原判決も亦此の点に於て明らかに判決に影響を及ぼすべき法令の解釈適用を誤った違法があると云うべきであって原判決は此の点に於て到底破毀を免れないと信ずる。

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